よっさんの独り言1、2,3月
山形の免許合宿から5日延長で帰宅しました〜

2月17と18に沢山更新してるので上記の間にゆっくりとご覧下さい。
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3/20:「5日延長で22日も山形にいました」
 人生でこんな3週間そうそう無いんだろうなってくらい色々ありました。僕ってヘコンでても人前ではその深刻さが伝わらないってのが他の人から言われて改めて実感しました。落ち込んでても変に明るいんですよね(苦笑)まわりの人の雰囲気を壊さない分にはいいんですけど中々本人は辛いんですよね〜。上手く行かないときどういう自分でいられるかってことを含め沢山のことを客観的に見られたと思います。あと環境を変えるっていろいろな面で大切ですよね。日通自動車学校の教官・事務の方々、宿舎の方々、山形の人々にはお世話になりました。生活的には不便な面もありましたが本当に雪国の寒さを感じさせないほど?人々が暖かったです。一緒の宿舎の学生さん、地元の学生さん短い間だったけど本当に楽しかったです。やっぱみんなで話したときとかの時間の貴重さって後にならないとジワジワ来ないところが憎いですね。
 もうホームページも1周年になるのですが、更新をかなり控えようと思います。なんで1ヶ月に1回くらいのペースで見てくれるとありがたいです。パソコンの前に向かってる1時間をほかの事に費やしたいです。野球も控えます。音楽とか絵とか創作活動にしばらくは時間を費やしたいです。
2/24:「ホームページ更新をしばらくお休みします。」
 心空虚に明日、免許合宿に旅立ちます。3月12日に順調に行けば帰ってきますが、それ以降も更新は休むかもしれませんし、間が空きながら更新するかもしれません。あんまり考えずにしばらく暮らしてみたいと思います。このごろ昔ほど物事を考えていないなと思いましたが、さらに輪をかけて思考停止?したいと思います。電波が山形まで届くと思いますのでホームページに訪れていただいた方は簡単な感想なんかを携帯にメールとかいただけるとありがたいです。合宿期間中はいつもより忙しくないのと、今あまり他のことをする気が起きないので発信するアンテナではなく受信するアンテナとしてジッ―と留まっていようと思います。ドシドシ、メールください。知ってるだけでも50名近くの人々が見てくれているらしいので。
2/18:「その3、春休み読む予定の本」
南伸坊『心理療法個人授業 河合隼雄先生』(再読)、山田ズーニ―『あなたの話はなぜ「通じないのか」』、『伝わる・揺さぶる文章を書く』、糸井重里『智慧の実を食べよう』、アンワイザー・コーネル『やさしいフォーカシング』、茂木健一郎『意識とはなにか』、五木寛之『大河の一滴』『百の旅、千の旅』、大石健一『3時間熟睡法』、松下幸之介『道をひらく』とアウンサン・スーチー関係の本を読みたいと思います。それにしても2/17その2にも書いたけど女性のエッセイストや作家がほとんどいないですね。
2/18:「その2、本を読むときやテスト勉強の時に線を引く」
 「重要なところに線を引きなさい。」小学校とかに言われたことがあるでしょ?これが案外、集中して読む手段として有効なんですね。テスト勉強してるときダラ〜ってして読んでたのがノートとかに蛍光ペンで重要な部分とかに線を引こうとして読むと大事なところを探そうって気になって受動的に読んでたのがちょっと積極的に能動的に読むんだよね。読書をするときも線を引くのがいいんですがベストなのは1度全て読んで重要な所をある程度把握してからもう1度読むときに引くと正確性があがるからいいと思うんです。だけど本て中々2度読むこと無いから1度目に引いちゃうんですよね。あと付箋もよく貼っています。
 ◆日記のコーナーを含め2月25日までには今まで溜まっていたものを更新したいと思います。
2/18:「その1、現実から離れると理想や安易な想像を抱くようになる」
 あれほど困難で苦しい現実を見たのにそれから離れると又、それに対する理想や安易な想像や高望みをすることがある。それをその現実に屈し続けずまた腰を上げるための回復として受け取るのか。またはただの現実を見ないことの怠慢ととるのか。それらは分かりませんがある程度の現実の中で意思決定や思考をしないといかんと思います。またこれも具体例が事情があり出せないません。
2/17:「その5、当たり前かもしれませんが」
 意識して見るところを変えると見えてくるものが違いますよね。今まで地元の友達に銭湯やらバッティングセンターに連れてってもらったのですが、外の風景ばかり見ていて、友達がギアを動かしたりスクラッチしたりするのを見たりしませんでした。それが一転、免許合宿にいくことが決まったら友達の運転を見てるんですよね、僕、チョロチョロと。友達もマニュアルの説明とかしてくれて「面白いっしょ!」なんて言って。
 ギターを練習するようになってから音楽番組を見るにしてもアーティストを見ることや音楽を聴くということより、弦と手の動きばかりに意識がいっちゃうんですよね。こうやって考えてみると僕は当たり前のように見たり、感じたりしていた、ある一つの事象でも意識してなくて見逃している側面がまだまだあるのではと感じている次第でございます。
2/17:「その4、小さな変化の連続には気づきにくい」
自分の内側(感情、心理的状態、思考等)の分かりやすい変化には気付くが内側の微々たる変化の連続は意識しにくい。具体例を載せると、とてつもなくわかりやすいのですが、これはちょっとマズイことなので書けません。知りたい方は口伝します。で乱暴にも飛んで“もう自分が気付くか気付かないかのところで人は変化してしまっている。(どっかで誰かが言ってたなぁこんなこと)その小さなほうの変化の積み重ねに気付かないと自身について考えたり回顧するときに戸惑いが生じるかも。”日記とか読み返すと分かりやすくないですか?記述の端々の表現に自分の変化が見られたりしてね。毎日チョコチョコッとつじつまがあわないことでも思ったこととかメモしてるとこういう感じに気付くかもしれませんね。それにしても具体例は載せなられない(汗)。
2/17:「その3、頭通らず口からでる。」
 集団心理というものがあって人は集団の中に入ったときには、1人でいるときとは違う行動をとったり感情になったりするのは知ってる人もいるでしょう。だが案外見落とされがちなのは1対1の2人、最少人数の対人関係になっても1人のときとはいささか違った心理状態になり言動や態度も変わってくることだと思う(社会心理学なんかやる人はこういうことを研究するんですかね?)。僕は1人で対人関係におけるコミュニケーション方法に関して反省したり回顧しても人と会うと自分の思っていないようなことをいってしまったり、態度をとって逆戻りになってしまう。その要因を自分なりに考えてみた。1つ目は多分昔からだと思うが人と目を合わせられなくてそこで少しペースがおかしくなり始めるのだ。あと間がこわくて頭通らず口にする言葉が多い。また立ち話とかその人と話せる時間が決まってない時、短い時間で話さなければと、ここでも言動やペースが狂っているのだと思う。他にも要因があるのだろうがそれらが重なって自分にマイナスになるようなイメージを相手に抱かせるようなことをテキト―に言ったりしてしまうのではないかと思う。こうやって一人で文を見てくれてる僕はどうなのかなぁ〜?
2/17:「その2、傾向の範囲内でのアンテナ」
 僕の読む作家は中年から壮年の方が多い。糸井重里さんが気に入ればその人のHPにでている他の作家にも興味を持ってしまう。気付いてみたら女性のエッセイストや作家なんて、まず読んだことが記憶に無いです。何が流行ってるのかも分からないし、どの作品がお薦めなのかも分からない。
 アンテナを広げているようで傾向を作ってしまっている。傾向の範囲内でアンテナを広げているだけ。自分が気付かずに傾向を作り価値観を狭めているように思う。1本の大木を見つけたときに他の木を見ずにその大木とその枝葉ばかりを見ているような感じですかね?本に限らず知らず知らずの内に自分の環境を狭めてしまうのだろう。
 糸井重里さんの言葉に
“世界中に人間の数は多いから、どうでもいいと他人なら思いそうなことを、じたばたしながらやっている人が、どこかに。
 おかげで、自分や、自分のまわりでは永遠に出会わないようなモノゴトが、生まれるんだよな。”というものがあります。
僕はそんなことにアンテナを伸ばしたい。誰かがあるものに没頭する面白みとか、どうしてそういうものに興味があるのとか、なんでその職業を目指すのとかを知ってみたい。その中で始るのが3月後半か長引けば5月に開設予定の“様々な環境で頑張る人々です”。1月7日に書いたような事をします。今まで僕がこのホームページの文章を書いてきましたが20名近くの人に文章を寄稿してもらおうと思います。寄稿してもらわなければ成り立たないのであくまで予定のコーナーです。
追伸:寄稿系のコーナーで“真剣バカ20代”も開設予定です。大晦日に関東から盛岡まで行って、わんこそば231杯くって記録を出したものの倒れて救急車に運ばれた人の話とか。夏休みに東北に断食良好に2泊3日で行った人の超笑い話とか載せてもらうつもりです。お楽しみに!
2/17:「その1、優先順位をつけること」
 優先順位を今まで何度、見誤ってきたことか。先を見据えて優先順位をつけることを言葉じゃなくて肌身で分かってる、実感してるって難しいよなぁ。先ってその状態を今、体感できるわけじゃないからねぇ。この話の具体例が分かりにくて話のニュアンスを変えてしまうかもしれないから載せません。自分で書いてても抽象的な文なので色々な解釈や消化不慮の人なんか出てしまうかもしれませんが申し訳ありません。
 僕なんか優先順位がハッキリしてることでもスッキリしないから嫌だって理由とか、簡単なほうから片付けてしまったりしてゴタゴタになっちゃうんだよね。
2/6:「更新したい・・・」
 書きたいこと沢山です。だけどちょっとこの頃忙しすぎます。毎日見てくれてくれる方とかすみません。多分ある日ばぁっーと更新します。読むの大変かもしれませんがヨロシクお願いします。あとヤフーの検索に引っかかりました。リンクさせていただいた方ありがとう。ギターの練習で人差し指が痛いです。村治佳織さんとか軽やかに弾いてるようギターって力がいるんですね。慣れればもう少し楽なんででしょうが。
1/25:「夕日にせつなさをおぼえよう?としなくなった」
◆中学時代に部活が終わったあと、夕日を見ると何故か無性に切なくなった。その後も微妙に感ずるものは違うものの、せつなさというか悲しさ、寂しさというものがつきまとっていたような気がする。しかしこの前、部屋の中から見た夕日(夕焼けではなかったのですが)にはせつなさを感じる前にどこか自分にストップをかけてしまったような気がする。じわじわとなにかが呼び起こされると寂しさを味わいそうだからフタをしてしまったような。感情の起伏を抑えるようになったと取るべきなのか...。
◆色々な人間模様
紙幣をばらまいた元銀行員のその後

洞穴生活43年、57歳の半生
1/22:「死刑囚の手紙を読んだ」
◆1月21日朝日新聞夕刊に死刑囚が死刑を執行されるまでの間の1ヶ月手紙を書き、弁護士に託していたとのことが書いてありました。日記の内容をざっと見てみると、いつ執行が行われるかは当日にならないと分からないとのこと。死への恐怖がフツフツと伝わってくる日記でした。その人の日記だけ見ていると、どうにかならないかなぁと思ってしまうのですが、被害者本人やその遺族のことを考えると、う〜んとなってしまいました。そうこうしている間にお茶漬けがふやけてしまったのですが、今回のように両方の方向から物事を考えるって僕らはあまりしないですよね。片方のことばかりになることのほうが多いですね。
◆目のクマをとる方法を教えてください。
◆2月と3月の予定を見るだけでもグッタリします。自分の体をいたわりながら頑張ります...。
1/19:「ちょっと驚き」
◆1/8に山田ズーニーさんの本は面白いと書いたら、早速反応があった。やはり面白いらしい。僕は面識の無い他大の方ホームページを見ているのですが、その人の今日の日記でもズーニーさんの書は好評だった。あ〜はやく読みたい....。
最近心に残った文章にアウンサンスーチーの思想を載せておきました。
1/17:「アウンサン・スーチーの思想を見て」
 僕がコラムのコーナーで書いていたことに近いことをあそこまで簡潔に書いてしまうんだから、凄いよなぁ。そのうち心に残った文章に書きますね。世界の偉人が僕のようなチッポケ者が考えていたことと似ている考えを持っているなんて、おこがましくもビックリしました。
 ■茂木健一郎さんの『意識とはなにか』面白そうですよ。読みたい本が増えてきたのは嬉しいです。CDもハトマメとかヘイリーとか小田和正さんを初め聴きたいものが出てきました。
1/16:「理屈ではなく体でつかむ」
 言葉で分かっていても肌身で感じ取れないことがまだまだ多いような気がする。この年になるとチョクチョク肌身で実感することも出てくるんだけどマダマです。頭だけで分かってても駄目なんだよなぁ。抽象的でごめんなさい。
 話はちょっとズレテ小学校5年生の先生が言ってた“知ってる子より、やってる子”も実際言葉だけ頭だけ分かってても駄目なんだよっていうことの1つなんだろうな。
 成人式のことに関してはまた後日に書きます。
 今年は恥を沢山かいてやろうと思います。自分に安全なほうとって失敗しない方が表面上ではカッコいいけど、それじゃ何の肥やしにもならないしね。
1/8:「この本は多分面白い」
 山田ズーニーさんの文章をホームページで見ますが、人が会話したり、メールしたり何かしらのコミュニケーションをしている中で見落としがちな、更にはほとんどの人が気付くことのないような、ことが沢山載っていて目からうろこです。小論文の書き方を教える人でもあるので、相手に出来るだけ誤解が少ないように文章を書く方法なんかも載っているとおもいます。テストが終わったら読んでみようと思います。
1/7:「2月にホームページが大変革します(予定)」
 ◆みんなの“今”を知る◆
 多分試験が終わった2月位からメールを次のような用件でさせていただきます。何でその人が今やっていること(やっていたこと)にたどり着いたのか、そしてそこでどんな経験をし何、を思い、感じるのか。これだと抽象的過ぎるので人それぞれ質問内容は詳しく書かせていただきます。多分20名弱位の人にメールさせていただくかもしれません。いただいた返信を(字数は自由)転載可能な方だけ掲載させていただきます。予定としては自衛隊の人、ヨーロッパに留学していた人、ICUの方、国際ボランティアをしている人、動物園で働いている人、ラジオを作っている人、郵便局の人、音楽に傾倒する人等、様々な分野の人に寄稿していただきたいと思います。積極的にまわりに働きかけていきたいと思いますので、是非それに応えてやってください。
1/1:「あけましておめでとうございます」
 ◆新年最初の1日◆
 昼2時に起きて→骨っこ食べて〜(すみません)→朝(?)食べながらテレビを少々→年賀状を拝見→年賀状返信→テスト勉強→ランニング→夕飯→風呂→軽い筋トレ→メール返信→現在→ギターとテスト勉強(予定)。
 ◆不言実行◆
 今年は目標をだれにも言わずにやってみようと思います。(去年もいわなかったような)多分なにをやってるのか傍目からは分からないと思います。毎日やらなければならないものでもないですし、成果がはっきり見えないものですがこつこつと積み重ねてゆきます。もし口でなんか言ってるものでしたら、それは小さな目標なので気にしないで下さい。
 ◆子供時代の心はいつ忘れてしまうのか?◆
 昨日ドラえもん(←1発で変換が出来たところが凄い)を少し見てました。ドラえもんが未来に帰ってしまうというんで、夜、押入れで泣いているノビタにお父さんが「おまえはおばあちゃんが死んだ時もそうやって押入れの中で泣いてたとよなぁ。あとで下に来いよ。」と優しく声をかけるシーンがあって、それを見たとき僕は懐かしい何かを思い出しました。でもそれがなにかは思い出せませんでした。
 僕はいつ幼少期の感覚、大人には理解が難しくなる子供の心が薄れていくのだろうと考えたことがありました。恋愛の後にそれが思い出のほとんどを占め、それ以前の幼少期を忘れてしまうのか、高校から進学、就職して飲み会やアルバイトとうの急進的な環境の変化の中で新しい慣習に知らず知らずのうちに消されていってしまうのか。はたまた受験勉強や大学という慢性化した環境の中でか。個別的に人それぞれ違うんだろうけど、ノスタルジーというか薄れていくなにかに悲しみ覚えるものの、心のどこかでそういうものが息づいてるといいなぁと思う今日この頃です。
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