よっさんの独り言 4月、5月
〜素直にスナオにすなおに〜
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11/21「人間は自由の刑に処せられている」
 サルトルの有名な言葉ですがそれに近いことをバイト雑誌をめくる度に実感していたのだと思います。職業選択の自由1つ取ってもここまで選択肢があると逆に苦痛でもあります。今僕の机の前には高校時代の時間割がありますが自由な時間割を組める学校にも行ったにも関わらず少しその自由が悩みの種にもなったようにも思えます。中学校までは部活にしても、学校の時間割や決まりごとにしても選択肢や自由が制限されていましたが、どこか、それはみんなと同じだから上手く行かないことがあってもどうにかなると無意識に考えたり決める責任や悩みから逃れられたのだと思います。
 大学生になってから大海に投げられたようよ感があります。自分の生活パターンを決めるために多様な選択をしてその結果を受け入れる。そんな繰り返しのように感じます。特に就職活動に関しては志望の会社の選択、志望先を決めるに至るまでの方法など今までとは比べ物にならないほどの決断を強いられるとなると重圧がかかります。今後の人生の大半を過ごす環境を決めるのだからなお更です。
 阿部公房の『鞄』をこういう風に解釈する人がいました。“鞄の束縛により不安はなく、選ぶ道がないために迷いもためらいもない。その鞄は人に束縛による自由を与えてくれるのである。”僕にはこの“束縛による自由”というパラドクスがやけ印象に残っています。
8/31:「久しぶりの更新(汗)」
 自分の思うことは置いといて近況をサラッとご報告します。
 恩田陸『夜のピクニック』を読みました。活字でここまで様々なことが表現できることが羨ましかったです。デューク更家さんさんの本も購入しました。健康という言葉に過剰に弱いです。。体育のプールエクササイズという9月5日から4日間、長野で泊り込みの授業もとってしまいましたし。
 1泊2日で岩手県に行ってきました。こちらは☆旅先での思い出(屋久島・岩手をご覧下さい。
 36色の色鉛筆を購入しました。時間があれば絵を描いてホームページに掲載したいです。
 車に乗ってて危ない目によくあいます。根拠のない自身もちと問題です。
とおりいっぺんの、ただ言うだけ、みたいな言葉が
あふれているじゃないですか。
6/19:「雄弁は銀、沈黙は金」
 上手くはなすことは大切であるが、いつどのように沈黙しているかを心得ていることはもっと大切であるという意味です。この頃僕に物凄く欠けている事だと思います。うまくいかないことがずっと続いて自分のことでイッパイイッパイな感じでいるときにこそ適当なことを言ったり、人に不快な思いをさせているので。もう一度この言葉を再認識したいと思います。
 
 「選択の連続で」
 なんか選択と決断の連続って感じでしんどいですね。。決断って決めて断つと書くとおり捨てなくてはいけない部分が往々にして生じるんですよね。う〜ん。選択することは沢山あるんですが、決断するプロセスの思考が乏しいんですよね、多分。決断する要素が日に日に変わるので大変です。やはり抽象的な文章で申し訳ありません。
 
あとは徒然と・・・

 本読んでもなんか傾向が偏ってるんで面白くないです。いい本紹介して下さい。

 村治佳織さんのコンサートに行きました。もう言葉にできないほど素晴らしかった。音楽って体の内側から湧き上がってくるものがありますよね。
5/6:「一過性の感情に流される」
 “一過性の”といっても期間は人によってどう受け取るかはマチマチでしょうが、僕は数分のこともあれば数ヶ月のことも一過性と表現します。感情と理性はともに働かないと言われるほど感情というものは時にとても厄介です。すこし自身を客観的に見ていま感情的になってると“認識”してもその感情をコントロールするのは難しいからです。例えばドキドキ動揺していて、自分が動揺していることを認識する、そのドキドキの焦りによって、これからおこること(バイトで仕事するでもいいのですが)に冷静に対処したいと思っても体は言うことを聞かずにドキドキするような物質をまだ出したりしている(んだろう)。心が認知したものが体に影響を与えそれを理性では統制できなくなる部分がでてくるから人間はややこしいですね。(スポーツ選手なんかはこれを上手く利用してアドレナリンなんかを大量放出させて臨戦態勢に入る人なんかがいるんでしょうが。)
 あぁ最初に言いたいことと話がずれてしまった。体の物質がどうのこうのはいいとして一過性の感情のなかに流されているのは分かっていても、自分の根本となる根底にある思いを固持し続けるのって難しいなぁ。一過性の感情に従うのも悪くないんではないという意見があるかもしれません。しかしながら詳しくは語れませんが根底にある自分の思いを忘れずに一過性の感情に逆らって行きたいと思います。でも一過性の感情といいつつも自分から発せられている感情だからそれに逆らうのも自分に嘘をついているようで嫌だけど。
4/25:「今の状態をもう少し落ち着いて観察したい」
 春ということで本当に嫌なほど決めなければならないことがあり、5月の中旬まで予定がいっぱい、いっぱいです。GWも空いてないのですが渋谷BUNKAMURA モネ、ルノワールと印象派展にはどうにか行きたいと思います。そんな中でもまだ残っている問題や悩みについても同時に考えていかなければならないのですが、いまの状態だと主観という狭い範囲でしか考えられそうにないので、できるだけはやく片付けられることは片付けてゆっくり腰を据えて自身を客体化できる日を確保したいです。とにもかくにも今年は恥をかくことを恐れずかつ自尊心を過度に傷つけない感じで過ごしていきたいです。
4月3日:「中途半端」
 ネットを更新しないといいつつ、ヤフーの検索から外れるのがやだから2週間くらいしかたってないのに更新している自分。野球は控えるといいつつ明日いこうかな考えている自分。上記のことをスッパリ立つのか頻度を減らすのかで悩んでいます。自分の得意なこと、習慣づけていたことををしばらく、やめることで新しいことが見えてくるような気がするんですよね。だけどネットに関しては上記の理由で頻度を下げることぐらいしか出来ず。野球に関しては、いきなし環境を変えるとストレスになるから息抜き程度にやるのはどうかなと思ってはいるものの、1度やると、もう野球のことばかり考えてしまう恐れもあり踏ん切りがつかない。決断って大抵の場合なにかを捨てなきゃならないと思うんですよね。まぁ免許合宿行ってから野球についてもネットについても1日のうちの占める割合が随分と減ったことは減ったんですけどね。
 今年はチョッと真面目さを欠いた生活をしてみようかなと思います。悪いように見えるかもしれないんだけど、生真面目に生きてては感じられない側面にも触れてみたいですしね。だからホームページにあまり小難しいことを書くのを控えようと思います。
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